「世直し大明神」は危険な兆候? 佐野政言が抱えた「コントロール不能な苦しみ」とイメージで「英雄視」することの怖さ
◼️どうにもならない現実との向き合い方:「課題の分離」が示す道
もうひとつ、この悲劇から学ぶべき教訓は、自分ではどうにもならない境遇への心の対処法です。政言は父の病や家柄といった自力ではどうすることもできない要素に囚われ、深く心を蝕んでいきました。
現代に生きる我々も、うまくいかない理由を環境や時代のせいにしがちです。それは心を守るためのごく自然な反応なのですが、とはいえ、そうしたところで問題解決にはなりません。
では私たちは、そうした悩みにどう向き合うべきでしょうか。ヒントは心理学者アドラーが提唱した「課題の分離」です。
「課題の分離」とは「自分の課題」と「他人の課題」を区別し、コントロール不能な「他人の課題」に踏み込み影響されるよりも、「自分の課題」に集中しようという考え方です。
政言の場合、家柄や父の病、田沼親子の台頭は、コントロール外の「他人の課題」にあたります。もし彼が己でコントロールできること――例えば父との向き合い方を工夫したり、周囲に助けを求めたりといった行動ができていれば、少なくとも孤立は避けられたでしょう。佐野家の嫡男として「己で解決しなければ」という責任感もまた、彼を追いつめてしまったのかもしれません。
コントロール不能な要因に心が支配されると、政言のように視野が狭まり、極端な選択をしてしまいかねません。
理不尽な境遇や他人との比較に苦しめられた時は、一歩俯瞰して「自分の課題かどうか」と自問自答し、できることに集中するべきでしょう。もし他人の課題であるならば、適切に距離を取り、時には思い切って手放す勇気も必要になります。
【まとめ】
佐野政言の刃傷事件は、個人の深い孤独と社会の不満が交差した悲劇でした。情報過多であり、他者との比較によるストレスが絶えない現代において、私たちは「正義の物語」を安易に鵜呑みにしない冷静さ、そして自分の課題に集中する勇気を持つべきでしょう。
歴史の教訓を、ただの反省に終始することなく、私たち自身の心を救う道しるべとしたいものです。

佐野政言事件を風刺した黄表紙『白黒水鏡』(国立国会図書館蔵)
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